僕の頭の中~文房具ライターの秘密~

文房具ライター:猪口文啓の頭の中(考えたこと、考えていたこと、秘密にしていたことを紹介します)

短編映画「世田谷ラブストーリー」で展開される男女の駆け引きについて考察する。

 

今日は雪に閉じ込められているので、静かに自分で珈琲を淹れて朝から何杯も飲んでます。美崎栄一郎さんのfacebookのタイムライン流れてきた短編映画「世田谷ラブストーリー」を観ました。男性視線の面白い映画でした。

 

この中で主人公が「今までで一番笑った話をしてよ!」と女性にリクエストされるシーンがあります。こういう無茶振りを最近の女子は平気でしてくるので、僕たちのような草食系男子は備えなくてはなりません。

 

「え?お前は備えているのか?」意外に備えています。キレはないですが…

 

僕がここ数年で一番笑った話をここに掲載しておきますね。

 

人間は「ゴキブリ団子」では死なないと言う話。

 

僕たちは、ばあちゃんに集められた。大事な話があるので、聞いておくようにということだった。ばあちゃんの前には何やら美味しそうな色の薄いチョコ的な感じのものが、銀紙のカップにいれて小分けしておいてあった。見た目はチョコそのものだった。

 

ところが、その正体は「ゴキブリ団子」だった。最近は聞かなくなったが、それはゴキブリの駆除用に開発されたホウ酸を主成分とした毒だった。最近、田舎の台所に出現するゴキブリ駆除のために、ばあちゃんが作ったものだった。

 

「お前たちは馬鹿だから、チョコだと思って食べてしまうかもしれない。だから言っておくとこれはゴキブリ団子だ。食べたら死ぬ。間違ってもつまみ食いすることは無いように!10個作ったから食べたらすぐにわかるよ!絶対に食べるなよ!」

 

こんな風に念押しされた。僕は心の中で「誰がこんな薄い色のまずそうなものを食べるんだ?」そんなことのために集められてとても迷惑していた。でも、その瞬間ばあちゃんが「あれ?9個しか無い!」と叫んだのだ。

 

「誰だ?ゴキブリ団子を食べたのは?」と、ばあちゃんが大きな声を出すと、「わぁ〜!」と叫び声を上げながら、のけぞって倒れた人がいた。それは、じいちゃんだった。密かにつまみ食いをして口に入れ、周囲にばれないように咀嚼していたのだ。

 

じいちゃんは、少量食べてしまったようだが死ななかった。さらに、その事件が起きて10年位経過するが、まだ生きている。人間はゴキブリ団子では死なないと証明したのだ。食べたら死ぬというのは誇張表現だったことを身を持って証明した。

 

しかしあれだけ「つまみ食いする奴は馬鹿だ!」と、ばあちゃんに言われたのにもかかわらず敢行したじいちゃんの地位は落ちた。どうして食べたのか、後日確認してみると「美味そうだったから、つい口に入れてしまった」と自供した。

 

以上が、我が家のお笑いストーリーである。色褪せてしまったので、あまり面白く無いが、正月に家族が集まると必ずこの話になる。こういうネタをしっかり持って生きていきたいとおもいます。

 

 

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「幸せの青い鳥」を探すよりも、幸せの正体を見つけよう!

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子供の頃に家に置いてあったメーテルリンクの『青い鳥』を、暇にまかせて何十回も読みました。面白いのか、面白くないのかよくわからない作品であったが、もう少し楽しいオチをつけられないものなのかと子供心に不審に感じていました。

 

「幸せの青い鳥」を探す大冒険を主人公兄妹が繰り返し、結局見つけることが出来ずに自分の家に帰ってくると、自分の家で飼っていた鳥が「青い鳥」だったという物語だった。実際の物語はもう少し続くのらしいが、我が家の本はここで終わっていました。

 

幸せは自分が考えているよりも、すぐ近くにあるものなんだよっていうようなことが言いたい童話だったのでしょうか?この物語は、身近にありながら気がつかない幸せや希望を意味したものだったらしいです。ちょっと子供には難しいですよね。

 

今日のブログテーマは、「幸せの正体をみつけよう!」です。

 

「幸せの青い鳥」を、現代のモノに例えれば「お金」「地位」「名声」などなんでしょうけれど、そんなもので幸せになれるんでしょうか?例えば1億円の宝くじが当たったとします。この突然の幸運はたいていの場合あなたを不幸にします。

 

では、僕たちにとっての「幸せの青い鳥」って一体何なんでしょうね?

 

そこをいち早く見つけなくてはならないのです。自分がどんな状態になったら「幸せ」なのか早々に見つけましょう。というよりは、決めておきましょう。そうです!決めるということが、実は一番大切なのです。

 

めちゃめちゃ仕事をして、周囲の期待以上の成果を上げて、自分の存在価値を高めても、それが永続的な幸せとは限らないです。もちろん、その逆もありますよね(笑)多くの成功者は、その根っこになる自分の「幸せ」を決めているのです。

 

それを決めていないと「幸せの青い鳥」を探す旅は永遠に続きます。そして、疲れ果ててしまうのです。そうでない人は、諦めてしまうのです。そうなると、後は平たんな面白みのない道が死ぬまで続くだけです。そういうの嫌ですよね。

 

もう一度繰り返しますが「探す」よりも「正体」を見つけるのです。そして、その「正体」が見つかったら、どこまでで満足するのか「決める」ことです。果てしない疲弊を伴う旅を続けられる人はいません。疲れて座り込んでしまう前に「決める」ことです。

 

年の初めによくよく考えてみましょうね。

 

 

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2016年の反省と来年の抱負です!

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今週のお題「2017年にやりたいこと」

 

今年も残すところあとわずかとなりました。反省をしておかなくちゃね。ということで、2016年にやったことを月別にまとめました。なかなか忙しい一年でしたが、充実しておりました。もう少しスピードをあげて楽しみたいと思います。

 

まずは、今年の振り返りです。

 

一月  コボリジュンコさんの『100年日記セミナー』を名古屋で主催しました。

二月  会社の同期で懇親会をしました。場所はもちろん「明月」です。

三月  土橋正さんと一緒に『おかざき文具博』で、トークショー!

四月  東京文具店巡りの旅「旅屋さん」「山田文具店」「中村文具店」

五月  大学時代のサークル仲間で古民家キャンプ。先輩達の変貌にびっくり。

六月  ひとりで京都レンタサイクルの旅。6時間くらい漕いでました(笑)

七月  国際文具博(ISOT)たくさん友達ができました。

八月  文房具朝食会@名古屋の「納涼飲み会」を世界の山ちゃんで!

九月  マンシングウエアゴルフを観に行く。豊橋博物館の大恐竜展。

十月  京都をミヤちゃんに案内してもらう。そして『未来日記』

十一月 伊勢神宮と石神神社に遠征。そして、奈良は本当に楽しかった。

十二月 『文房具屋さん大賞』の取材で東京に。さらに、同窓会。

 

結構、濃い一年でした。

 

来年の予定と抱負は大晦日に報告しますね。

蛹(さなぎ)の頃の記憶

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気がつくと無性にお腹が空いていて、目の前のモノをひたすら食べていた。好きなものを食べると良いと教えてくれる人もいれば、バランスよく色々食べなさいと教えてくれる人もいた。僕は何を食べても大差はないと思っていた。

 

そのうちに体が大きくなってきて、食べることにも疲れてきた。周囲の仲間も同じような感じだ。ただし、この頃になると体格差は歴然としていきていて、そもそも食べることの嫌いな子は見た目も小さかった。僕も平均より小さかった。

 

僕たちは「蛹(さなぎ)」になる準備を始めた。ここに生まれた限りは、蛹になって成虫になり、この国の役に立つことが当然の任務なのだとよく見える大きな看板に書いてある。どうやらそういう宿命みたいなのだ。本当か?

 

蛹になるということは意外に簡単だ。それぞれの部屋に入り、自分の体を溶かして部品を作り、組み立て直せばいいだけだ。その部屋には「設計図」も置いてあるので、安心この上ない。さらには、わからなくなったら係りの人を呼べば良い。

 

その部屋は半透明で周囲の部屋の様子もうかがえる。みんな設計図を信じて、一心不乱に作業している。誰も信じて疑わず、時間だけが過ぎていく。不器用な僕は部品をいくつか失くしたが、探すのも面倒だったのでそのまま完成させた。

 

ほぼ2年くらいかかって、形が整ってきた頃に扉のドアがあいた。みんなぞろぞろと出てきたら、「蝶(ちょう)」になっていた。でも、誰が誰なのか区別もつかないほど見た目が同じの蝶になって集団を組んで飛び立っていった。

 

僕はいくつもの部品が欠落していたので、飛べなかった。歩いて集合場所までたどり着き、周囲の「蝶」にヒアリングすると「本当に幸せだ」と口を揃えて主張する。「おまえは大丈夫なのか?」と気の毒そうに僕を眺めている。

 

僕は社会から「不良品」というシールを貼られた。でも、貼られてしまうと自由だった。みんなから役立たずとか、ちゃんとやれとか罵られたけど、結局「自由」が待っていた。それは政府の影に怯えることなく生きて行く「自由」だった。

 

あのときに「設計図」の通り組み立てしていたら、僕も普通の規格品になっていただろう。不器用で組み立て出来なかっただけで、そこからはみ出せて良かった。あの部屋に入れられてしまっては、絶対に気がつけない秘密があるのだ。

 

  1. 友達に相談して、その助言通りに行動しない。まだ見えてないから。
  2. 「設計図」は目の前に置いてあるが、やすやすと信じてはいけない。
  3. 自分の直感を大事にして生きること。その他多勢にならないこと。

 

まだまだ秘密があるのだが・・・社会が崩壊してしまうので、教えてはもらえない。でも、そこにこそ「真理」がある。僕たちがキラキラ輝いて生きるための秘密があるのだ。それを解き明かして、人生が始まる。

 

もうすっかりと忘れてしまったかもしれないが、蛹の頃の記憶を思い出そう。そこにすべての謎をとく鍵がある。そしてもう一度そこに戻れば、生まれ変わることも可能なのだ。

 

今日の話は、ここでおしまいです(*^o^*)楽しめましたか?

 

 

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「眼」を見れば、相手のほとんどの情報は入ります!

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小学校の同じクラスの女の子に、すごい「眼力」を持っている娘がいた。その眼差しは強烈でどこにいても、僕の張りぼての存在を見抜いているようで怖かった。やがて、幸いなことにその娘は北海道に転向していった。平穏な日々がやってきた。

 

でも、中学になると1つ上の先輩にその眼を持っている娘がいた。全校集会とかで会うと、僕は動けなくなってしまった。その娘も動かなかった。でも、その頃には僕も相手のことが分かるようになっていた。そう、その眼を僕も持っていたのだ。

 

その眼の娘に会うことは少ない。長い人生でも5人くらいしか会ったことがない。けど、会えばすぐわかる。その娘は「僕」なのだから。不思議なことに男にはいない。単純に「恋愛」なのかと思ったが、そういうわけではないみたいだ。

 

誰にでも「能力」がある。念力とかそんな世界ではなくて、与えられた不思議な力を持って生まれてきているのだ。それは「鳥」の力だったり、「磁石」の力だったり、「バネ」みたいな力だったりする。みんな多少は自覚して生きている。

 

僕たちが持っている「眼」で社会をゆっくりと見ると、苦しみや悲しみ、そして葛藤(かっとう)が見て取れる。そうやって、絡み合って、擦れあって、世界は成立している。まさに動的平衡の世界そのものである。

 

数年前もその眼を持った娘に会った。僕が信号待ちしていると、その娘は隣の車からこっちを見ていた。前から気になっていたけど、間違いなくその眼だった。僕もいい年齢になっていたので、その内容が解けるように理解できた。

 

そんなことを考えていて疲れないのか?と言われるだろうが、僕は全く疲れない。そういうパラレルな世界をいくつか抱えながら生きている。そうでなくては説明のつかない事象がたくさんある。逆にどうしてそんなに割り切れるのか知りたい。

 

周囲の人がどんな「眼」で自分を見てくるのか意識しよう。そしてその「眼」から相手を知ろう。同じ種族を見つけよう。信頼できる同士を探そう。たったそれだけの「眼」というヒントだけで見つかる世界がある。大事なことだ。

 

面接して受け答えした内容よりも、テストの点数よりも、「眼」を見て相手が信頼できる相手かどうかを見極めよう。もちろん家族だって恋人だって、そのフィルターにかける必要がある。そのフィルターは人生のアンテナになる。

 

理解できない人には意味不明だと思うけど、岐路に立って苦しんでいる人には役にたつ話だと思う。是非是非、相手の「眼」をみて自分のフィルターで見極める訓練をしてほしい。早めの失敗が将来の大怪我を防いでくれるので、失敗もいい。

 

今日のお話は以上で終わります。あくまで参考にしてくださいね。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

 

 

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『本当の自分』を探す旅から帰ってきて、見つけたこと。

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『本当の自分』を探す旅をして、帰ってきました。

 

僕の友達も『本当の自分』を探す為に、会社を辞めたり、夜遅くまでお酒を飲んだり、友達に彼女を紹介してもらったりしていました。僕は少し路線が違いましたが、ほぼ同じ時期に旅をする決意をして、最近帰ってきたのです。

 

答えは見つかりませんでした。

 

今は忙しく来年のプロジェクトの成功を夢見て、複数のスタッフと毎日遅くまで働いています。なかなか休みが取れないけど、充実した毎日です。上司にも恵まれて、会社に行くことが嫌だと思ったことはありません。これも『本当の自分』

 

隣の扉を開けると、窓の外は一面の雪景色。暖炉のパチパチと言う音が聞こえるくらいで、他には何もありません。隣には、最近寝てばかりいる犬がいるだけ。読みかけの本をもう一度開くのもおっくうなくらいの時間。これも『本当の自分』

 

また、隣の扉を開けるとここは京都なのだろうか。緩やかな坂道を、子供達を誘導して歩いてます。そうだ、今日は写生大会で河原の風景をモチーフに担当のクラスの子供達を目的地まで連れて行かなくてはならない。これも『本当の自分』

 

さらに隣の扉を開けると、大声をあげて僕は怒っている。周囲も負けずに怒っている。何か巨大な建築物に向かって、そのもの自体に溢れる怒りをぶつけている。いったい何があったのだろうか、わからない。でも、これも『本当の自分』

 

そんなのだ。どんな環境で、どんな役割を背負わされても『本当の自分』なのだ。

 

ただ、わかっているのは『本当の自分』ではないというときの『自分』は、とても卑怯者で、はっきり意見を言えずにその場を見過ごした『自分』に怒っているのだ。『自分』でどうにでも出来たはずなのに、バカみたいだ。

 

『本当の自分』を探す旅をして、帰ってきました。

 

でも、周囲の人も含めて、起こるすべての事象も、すべてが『本当の自分』

 

 

 

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