僕の頭の中~文房具ライターの秘密~

文房具ライター:猪口文啓の頭の中(考えたこと、考えていたこと、秘密にしていたことを紹介します)

「人生は重荷を背負って遠き道を行くがごとし」でも、背負わなきゃいいかも!

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人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。



 この意味は、おおよそ次のようなものです。

 人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
 不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
 心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
 がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
 勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
 自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
 足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。

 

僕の生家には尾張地区の田舎らしく上に引用したような徳川家康の遺訓が飾ってあった。なかなかいい言葉ではあるが、ちょっと疑問を持っていた。その疑問は、本当にみんなが思い荷物を背負って歩いているのか?ということである。

自分では背負いきれないような重い荷物を背負っている人もいれば、全く荷物も背負わずに悠々と歩いている人もいる。全くもって不公平なように感じていた。ばあちゃんに聞くと、みんな背負っているんだと言い切ったが納得できなかった。

簡単な例を挙げると、我が家の両親は共働きで生活に余裕がなかった。でも友人の家ではお父さんしか働いていなくて、お母さんは家でのんびりしているとのこと。これはどういう構造になっているのだろう?徳川家康はこれを許すのだろうか?

 

最近になってわかってきたこと。

 

子供心にそんな疑問を持ちつつ大人になった。年齢を重ねるごとにわかってきたこともある。それは「人間というのは、その人に見合った悩みを精一杯背負って生きている」ということである。これは結構な真理だと思う。

人間が持てる「悩み」の量は、人それぞれである。でも持てる精一杯の量しか持てないし、たいていの人が持てる限界の量まで持っている。それが生きている証のように思っているのかも知れない。善人も悪人もここは同じだ。

限界の量まで持っているので、新しい「悩み」が到来すると今までもっていたものを手放さなくては対応できないのも人間の面白いところである。これはうまく利用すれば問題解決のスピードを速くする手段にもなるので考えてもらいたい。

 

上手な生き方は、これじゃないだろうか?

 

それではうまく生きていこうとするならば、どうしたらいいのだろうか?どちらにしろ、「悩み」は背負って生きていかなくてはならないものなのだ。これを軽くする方法はないのだろうか?と色々考えてみた。

それは「背負わないこと」かもしれない。

基本、背負わざるをえないものをずっと背負っているんじゃなくて、歩くときにはキャリーバックに入れておいて、考えたり、向き合ったりするときだけバックから取り出して「背負う」のだ。これが一番体力を使わなくていい!

お前はアホか?と言われるかもしれないけど(笑)こうすれば楽に生きていけるんじゃないだろうか。思いつめて体調を崩したり病気になったりすることもなくなるんじゃないだろうか。是非是非、ここに挑戦してもらいたい。

 

 

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