鎖骨との戦いの歴史を書いておく。
かなりマニアともいえる内容なので、読まないほうがいいかも知れない。
でも、きっと同じ考えの人が結構いると信じている(笑)
元々の語源は「鍵」に似た形の骨なので「鍵=鎖」で、このように呼ばれる。
鎖国の鎖は、「閉ざされた」とか「鍵を閉めた」という意味がある。
鍵的な骨・・・その語感が、まず第一に嫌だった。
その次に、思い出話になる
ある寒い日、小学校の体育の時間に馬跳びをしていたら、
友達が勢い余ってゴールポストに激突してしまった。
とても痛そうで保健室に運ばれていったが、鎖骨骨折していた。
数ヶ月間ギブスをしていた。それは修行僧よりも大変そうだった。
「鎖骨は折れやすい」と先生から説明があって
純粋な僕の心にこの言葉が強烈にインプットされた。
この経験が決定的で、僕はこの頼りない骨が嫌いになった。
中学の部活でサッカー部に入った。ボデーコンタクトの激しいスポーツだ。
運動音痴の僕は全くついていけてなかったけども、
鎖骨骨折することは嫌だと思っていた。
軽く柔道を習っていたので、足腰には自信があった。
基本は相手に腰を当てて試合を凌いでいた。
おかげで足首は何度も捻挫したが、鎖骨は守れた。
大学生になって女性に興味が出てきた・・・(すいません)
でも、鎖骨は嫌いだった。
そのころから同世代の女性たちも、鎖骨を露出させる大きな首の衣服を
着るようになってきたのが僕も知っていたが、
「そんな服を着て、鎖骨が折れても知らんぞ・・・」
と何となく思っていた。
マスコミが「鎖骨はセクシーの象徴」みたいなことを吹聴していたが
ちょっとしたことでポキンと折れる骨のどこがいいのか
全く理解出来なかった。
今でも芸能人の人や花嫁さんが鎖骨を露わにしていると
「大丈夫かな?」と、思ってしまう。
今でも人ごみを歩くときに、すれ違う人に気をつけている。
ぶつかったら「鎖骨」が折れるかも知れないからだ。
ぶつかった瞬間に鎖骨と鎖骨が知恵の輪のようにガチャっと
を立てて繋がってしまった夢を実は何回も見ている。
その夢が正夢にならないように、これからも気をつけていくつもりだ!